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海外で活躍する日本人はボクサーだけではない。オーストラリアでロマチェンコ-カンボソスのIBF世界ライト級戦のレフェリーを務めてきたばかりの中村さん。国内リングでも前座から数多くの試合を担当し、レフェリー経験は1500試合以上になる。「リングの第3の人間」とも呼ばれるレフェリーはこのスポーツに欠かせない存在である。《ボクシング・ビート7月号より》
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飯田 今日はよろしくお願いいたします。先日はオーストラリアでロマチェンコ戦を裁かれて。
中村 オーストラリアはアメリカやヨーロッパから遠く、アジア圏が近いこと、また現在ボクシングが活発です。IBFのスーパーバイザーがよくしてくれて、いろいろラッキーなことが重なったんです。その前のヘイニー-カンボソス戦は代打の代打って感じでした。
飯田 あの試合は直前で呼ばれたと聞きました。
中村 1週間ぐらい前に電話があったんです。当初はプエルトリコの審判が指名されていましたがカンボソス陣営が蹴ったらしいんですね。それで私のところにも突然電話が来た。朝方まだ寝ぼけている時に「メルボルンに来てくれ」と。ま、我々なかなかチャンスが来ないものですから。
飯田 それはレフェリーとしても上がりたいリングですよね。
中村 「幸運の女神には前髪しかない」というじゃないですか。チャンスはつかまえておかないと、ということで。
飯田 中村さんはメジャー団体の年次総会にも積極的に出席されていますよね。そこで名刺を配ったりアピールを。
中村 浴衣着たり、浮世絵のグッズを持参したり、とにかく目立とうと(笑い)。
飯田 それこそボクサーが世界戦を目指すように、レフェリーもあのリングに立つための努力をされていたんですね。
中村 実る努力なのかはわからなかったんですがね。私、昔銀行に勤めていた頃は海外で働きたい希望があったんです。もともとそういう思いでしたので、いつか海外で働いてみたいと。いまは海外出張みたいなものですか。
飯田 いつか、ビジョントレーニングのセミナーに中村さんが参加されていて驚いたことがあります。まだボクサーもそれほど意識してやっていなかった頃。
中村 10年ほど前ですかね。
飯田 「レフェリーも目が大事なんだ」と思いました。..
興味深いレフェリーの仕事とやりがいについて――対談記事全文は発売中のボクシング・ビート7月号に掲載しています。
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