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伝説のKOキング、カルロス・サラテ ビート8月号「チャンピオンの殿堂」より

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 WBCが地盤のメキシコシティで開催するイベントや年次総会でステージに上がる初老の男性。現在の肩書は都市交通システム配下のスポーツ・コーディネーター。時折ジムでアマチュア選手をコーチすることを除けば、彼が現役時代に66勝63KO4敗の驚異的なレコードを残したパンチャーだと想像するのは難しいだろう。

 痩身の体格から“カニャス”(サトウキビの意味)と呼ばれたカルロス・サラテはWBCバンタム級王者時代の1977年、リング誌選定のMVPに輝いた。その名声は先輩に当たるルーベン・オリバレスや、アレクシス・アルゲリョ、ロベルト・デュランといったラテンの英雄と並び称された。

 1951年5月23日、ジョー・メデル、キッド・アステカ、ラウル・マシアスらを生んだメキシコシティのテピートで誕生したサラテは、イスタカルコ地区(マルコ・アントニオ・バレラの実家がある)で育った。

 ストリート、学校でケンカに明け暮れたことで自然にボクサーの素地はつくられた。1969年、18歳でメキシコのグアンテス・デ・オロ(ゴールデングローブ)で優勝。その後キャリアを導く名将“クーヨ”ことアルトゥーロ・エルナンデス・マネジャーの下でプロ入りする。トレーナーには兄ホルヘが就いた。アマチュア戦績は33勝30RSC3敗だった。

 1970年2月、3回KO勝ちでプロデビューすると1973年末まで23連続KO勝利。翌年1月、ビクトル・ラミレス(メキシコ)に10回判定勝ちで初めてフルラウンドを戦ったが、世界王座に挑戦するまで再び15連続KOの快進撃を見せた。この時の連続KO記録は、2階級制覇を目指したウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)戦まで28をマークした。

 KO勝ちのアベレージは90パーセント。ライバルのゴメス、ヘビー級のジョージ・フォアマンをしのぐ数字だ。これはサラテを売り出す際、クーヨが格下を相手に経験を積ませて自信を植えつける方針を採ったおかげだとも言われる。それでも、大場政夫と激闘を演じたオーランド・アラモス(パナマ)を3回で、世界挑戦歴があるネストル・ヒメネス(コロンビア)を2回で倒しているのだから、ただ者ではない。

 1976年5月、ロサンゼルス近郊のザ・フォーラムで同じくテピート出身の王者ロドルフォ・マルティネスをロープ外に横倒しにするKO劇でWBCバンタム級王座獲得。プロ40戦目の戴冠だった。..

 記事全文は発売中のボクシング・ビート8月号に掲載しています。
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