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元日本フェザー級チャンピオンで元キクチジム会長の菊地萬蔵さんが7日午前11時12分、都内の病院で息を引き取った。83歳だった。近年闘病生活を送っており、心不全から肺水腫、最後は肺炎を併発して帰らぬ人となった。
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菊地さんは青森県西津軽郡出身。アマで社会人選手権大会に出場した後の1960年にプロ転向。この年の東日本フェザー級新人王、翌年1月には全日本新人王も獲得。順調にランクを上がり、63年8月19日、空位の日本フェザー級王座を後の世界王者小林弘(中村)と争った一戦は歴史に残る名勝負となった。ダウン応酬の激闘を展開した末、判定勝ちした菊地が日本チャンピオンのベルトを巻いた。この試合はこの年の「年間最高試合賞」に選ばれている。
66年に10回戦で勝った試合が最終戦。終身戦績は43戦34勝11KO8敗1分。
引退後は、古巣の田辺ジム(後楽園ジム)のトレーナーとして日本フライ級王者牧公一らを育てるなど指導経験を積んだ後、独立してキクチジムを営んだ。
8日に東京・荒川の町屋斎場で火葬が執り行われ、キクチジムの教え子20人がかけつけ、師との別れを惜しんだ。